トンマの手記

わらわの妄言

懐古神話とニコニコ動画

ニコニコ動画sageブームが終わらない。
ニコニコ動画=悪いもの・過去のもの』以外の答えを絶対に認めない人達が一定数いる。
面白い動画は沢山あるのに、ニコ動に面白い動画は無い扱いをされる。適当に公式アニメを巡回するだけで見かけるというのに、定期的にTwitterで話題になるというのに、コメント職人は何故かいつも絶滅した扱いをされる。
荒しコメントは1つもなく、皆が仲良く動画を見て、コメント職人が動画を盛り上げ、職人さんがいる時はコメントを控えて(これはマジでわけわからん)
そんな『実在しない全盛期のニコニコ動画』を懐古しているのだ。


●懐古神話
ニコ動に限らず、今のネットは全体的に懐古の波が来ている。
黒目をなくした老害共の懐古トークは時代を経るごとに脚色され、現代のコンテンツをsageながら肥えていく。そして下の世代、思い出補正で盛られた昔話を真に受けてしまった人には『古き良きインターネット』という、実在しない神話が植え付けられる。
そのような懐古信者達にとって現代のインターネットは、神話に伝わるインターネットの下位互換。神話と現実のギャップを指して出てくる文句は、懐古ですらなく、知ったかぶりですらなく、ただの妄言だ。




ニコニコ動画は焚き火
ニコニコ動画をある程度見ている人は分かると思うが、数か月前に『アップロードに10年かかった動画』や『原点回帰音MAD晒しイベント』など、昔を思い出させる動画がブームになった。ニコ動の原点は『皆で一緒に盛り上がる』なので、動画ジャンルが多岐に渡る今、昔っぽいという1つのテーマに人が集まるのはとても楽しかった。
しかしひっかかったのは、そこに投げられるコメントだ。昔っぽい動画を開いたときに必ずと言っていいほど見かける「昔はこういう動画多かったんだけどな…」や「この頃は良かった…」といった後ろ向きな懐古コメント達。面白おかしく騒ぐべき動画の熱を奪い、続く懐古コメントを呼び寄せ、視聴者に懐古神話が植え付けられる、最悪のコメント達だ。楽しかった頃があったのであれば、その頃の空気に少しでも近づけるようなコメントをするのが道理だと思うがそうではないらしい。今を面白くするよりも懐古をしている方が良いと言うのであれば、それは老害と何も変わらない。

その手の懐古コメントは、昔のニコ動を羨んで漏らしたものだと思うが(当人が本当に昔のニコ動を知っているかはともかく)、その『勢いがあった頃のニコ動』を遠ざけているのは、他ならぬ後ろ向きな懐古コメント達だ。
それは寒いと言いながら焚き火に水をかけているのと同じだ。ニコニコ動画の楽しさは他人から与えられるものではないのだ。暖をとりたいなら、火に近づいて自分から薪を焚べるべきなのだ。もしニコニコ動画が衰退したと言うならば、それは焚き火を他人任せにする受動的なスタンスのユーザーが増えたからではないだろうか。
「そもそも今のニコ動は面白くないので焚き火に参加しようと思わない」と言うのであれば、残念だが仕方ない。暖をとる方法は1つではない。原始的な焚き火が合わないなら、YouTubeという電気ストーブやTwitterというナショナルFF式石油暖房機があるのだから、自分に合った暖のとり方を選べばいい。わざわざ焚き火に水をかけに来るようなことがなければ、何も争いは起きない。
ただ、自分から薪を焚べる気もないくせに寒い寒いとのたまうようなお客様には、電気ストーブの方が向いているとは思う。

ニコニコ動画の楽しさ
ニコニコ動画は動画サイトと言うよりも現象に近い。現象は外側から眺めるか、内側で参加するかの2つだ。

だからニコニコ動画がつまらないと感じる人は正しい。
何が焚き火だ、内側で参加するだ。そんなんだから衰退するんだろうが。つまらん前時代的なオワコンは捨てて、現代インターネットを楽しもう。

ニコニコ動画を楽しいと感じる人は正しい。
コメントで、動画投稿で、配信で、タグで、ニコるで、エモーションで、ギフトで、いいねコメントで、ニコニコ動画に参加しよう。
ニコニコ動画また面白くなんねーかな」じゃないんだよ。お前も一緒に面白くしていくんだよ。お前がニコニコ動画に参加したとき、お前は俺達になる。俺達がニコニコ動画だ。


ニコニコ動画の楽しさは参加する楽しさ。
そこの貴方も『全盛期のニコニコ動画』なんて神話に囚われていないで、今尚蠢き続けるニコニコ動画に参加してみませんか。その楽しさは、『古き良きインターネット』で言う所の『祭り』そのものなのだから。